2017年10月10日火曜日

push

昨日、大ザルがついに自身のプロジェクトの1P目を初登した。
今シーズン最後と決めた昨日、ちょうど5年が過ぎようとしていた時だった。

今回は、遥々岐阜からがちおさんがやってきて同行してくれた。
久しぶりに会ったら、なんだか髪型がやんちゃしていた。キャラはそのままだった。
前回来た時よりも紅葉の色が深まり、立ち止まって眺めたくなるくらい綺麗だった。
ここしばらく、冬が一足先に来るんじゃないかというくらい冷え込む日もあったのに、
この数日は一気に暑さが戻ってきて、平地では夏日になるくらいで、
そのおかげか、懸念してほどの寒さはなかった。
ただ、弁天岩の取り付きはもう全く日が当たらず、居心地は良くなかった。
「来週どうなるか分からんけど、今日が今シーズン最後だろうねえ」
買ってきたものもりもり食べながら、そんな話をした。

いつもと同じように、大ザルがユマールしていって、掃除しながら降りてきた。
その後にこちらも「ターミナル」のロープを登っていって、リハーサルと掃除をした。
こちらの面は日が良く当たって暖かかった。
秋が深まっても、案外ここは登れるようだ。
取り付きのセクションはまたジメジメしていたけれど、
「余裕があったら今日やってみるか」と考えた。
しかし、荷物のところに戻って時計を見ると、既に13時。
これはいかん、こっちよりもあっちに集中しなければ。

大ザルがリハーサルを1回だけで終わりにし、
がちおさんが初めてのユマールを体験している間、僕は正直、心配していた。
惜しかった前々回や前回よりもアップが少ない気がした。
気温も決して高くないし、国体が終わってから1週間の疲れだってあるはずだ。
だから、多少時間が押していてもアップは入念な方が、と思った。
自分の体のことだから、自分が一番よく分かっているはずだ。
それでも、と思っていた。
多分、「シーズン最後」という言葉に焦っていたのは、僕の方だったのだろう。

「2時半頃にやる」ということなので、時間を見てユマールして上がった。
こうして撮影をするのも、これで3度目だ。
ぶら下がってカメラを構えるのは、重いしきついし、息が詰まる。
がちおさんもなんだか口数が減っているようだった。

最初のワイドをずりずりと越え、「シルクロード」の核心をゆっくりと進む。
一手一手、確かめるようにジャムを決めて進んでくる様子が、
なんだかいつもよりもスローに見えて、カメラを見ながらじれったさすら覚えた。
当の本人はいたって冷静で、確実に高度を延ばしてきていた。
「シルクロード」と分かれ、青エイリアンでの微妙な一手もゆっくりと止まった。
こちらはすぐにポジションを上に移し、カメラを構え直した。

不完全なレストで回復しきらないまま、薄いフレークに大ザルが手を出してくる。
繰り出す足運びに迷いはなかったけれど、身体は明らかに疲れているように見えた。
フレークに入ってすぐに、ナッツをひとつ突っ込んだ。
下にひいて食い込ませると、「ゴスッ」と鈍い音が響いた。
何度も「おっそろしく薄い」「軽い音がして怖い」と言っていたけれど、
その音に怯むことはもうない。
そこからもう何手か出して、最後のカムを入れた。
ここまでは、僕も見たことがあった。その先は、ビレイ点まであと3メートル弱。
明らかに身体は重そうだった。足下も少し震えているようだった。
少し強引に持ち上げた右足が、最後のカムに少しばかり当たった。
「あ、ダメだ」といつもの声が聞こえてきそうだった。

でも、このときの大ザルは違っていた。
呻きも漏らさず、叫びもせず、ただ静かに、少し震えながら登っていった。
確実に花崗岩の結晶を捕らえ、体を預けていく。
もう止まることはなかった。迷いなど一切ないように見えた。
前回ワンテンで最後まで登ったことで、何かが変わったのかもしれない。

1ピッチ目のビレイ点は、長めのロープを繋いで作ってある。
少し離れたところにぶら下がっているそれを、指先で引き寄せてクリップした。
喜び方は、思っていたよりも静かだった。それよりもパンプした腕が痛そうだった。
ロープにテンションをかけ、力が少しずつ戻ってくるのを待つ背中は、
まだ震えているようだった。
カメラを向ける僕も震えていた。

しばらくして、がちおさんがフォローで上がってくるのをビレイしながら、
あーだこーだと声をかけて引っ張り上げる姿は、それだけでなんだか嬉しそうで、
なんというか、流石だな、と思った。
がちおさんは今日これしか登っていないのに、ボロボロになって上がってきた。
「ガンジャより難しい」とかなんとか言っていた。
悪いが、そんなわけあるかよ。

「年に1度の力が出た」と大ザルは言っていた。
僕らは、ときどき不用意に「今日一の登り」だとか「特別な力が出た」とか口にする。
しかし今年還暦を迎えたこの人が、「年に一度の力」を出すのに、
一体どれだけのことを想い、どれだけのものを燃やしたのか、僕らには計り知れない。
実のところ、大ザルの登りは、いつもと何ら変わらないように見えた。
「別人のようだった」とかそんなことはなく、いつもの慎重な大ザルの登りだった。
だからきっと、このクライミングの成否はほんの紙一重だったんだろう。
きっと、あの恐ろしいエクスパンディングフレークよりも薄い、紙一重。
でもその紙一重の重さなら、僕にも想像がつく。
それを克復するためにこの人がしてきたことも、全部ではないけれど知っている。


核心のピッチはこうして登られたけれど、このルートはまだ2ピッチ目が残っている。
ずっと易しいピッチだが、大ザルはもう疲れ切っていて、
時間も遅かったので、今回は帰ることになった。
これで、このルートでの5度目のシーズンが終わったことになる。
続きは6シーズン目に持ち越しだ。
でも、6シーズン目はすぐに終わるはずだ。

今年の冬は、これまでと違う気持ちで越すことが出来そうだ。

2017年10月1日日曜日

lose

ここ数日、一気に冷え込んできた。
かと思いきや、日中はまだ暑い日もある。
この乱高下に体が不調を起こしたりしないか、なんて思ったけど、
こっちががっかりするくらいになんにもありません。
健康というか、鈍感サイコー。

秋晴れになった昨日、単身北の方にある某所に行ってみた。
(まだ詳細な場所は書けませんが、悪しからず)
木立は頭の方から少しずつ色づいていた。もっと深まってから見に来たいくらい。
駐車場から歩いて1時間弱、途中から細い沢に入って、
ぬるぬるの苔に大でんぐり返ししそうになりながら進み、目当ての一体に着いた。
そこそこ難儀だったけど、海谷に比べれば楽だったな。
岩の数は思っていたよりも少ないものの、一個一個は良さそうなので、十分。
それよりも水量が多く、流れも激しくて、対岸にはとても渡れなかった。
ということで、歩いてきた右岸の岩だけ登ることにした。

アップも何も、ほぼ手つかずと思われる場所なので、
とりあえず易しそうに見えるところから磨いて登る。
岩は全体的に硬く、苔もゴミもそんなに載っていなくて楽だった。
完全にエンクラ開拓、になるかと思いきや、
高くて怖い落ち方をしたりとか、小さいのに難しくて登れなかったりとか、
ひとりで結構シリアスになって登っていた。
大体1級くらいまで登って、下の方にある一番の大物へ。
こんなのを登った

一番の大物は、流れに覆いかぶさるように転がっていて、ケイヴを形作っている。
前傾した面にもホールドは見えて、恐らくきちんとつながっているのだけど、
数メートル奥には水が轟音をたてて流れていて、
なんだかここにいてはいけないような気さえしてくる。
なにより高い。ボルトが3本くらいは打たれそうなスケールだ。
とりあえず、ケイヴの隣にある側壁のような岩を登った。
こっちも結構高さがあったものの、2級くらいまでのラインができた。
そこで一番目立つ左カンテもやってみたけれど、
マット一枚ではシビアな核心に突っ込んでいくことが出来なかった。

そうしている間も、大物の下流側のフェースが気になっていた。
背伸びして届くところがルーフの出口になっていて、
そこでマントルさえ返せれば、あとは高いだけのフェースだ。
かかりの良さそうなガビガビのホールドも、そこら中にあるのが見える。
取り付きは石の上で、水飛沫を浴びてはいるがなんとか濡れずに行けそうだった。
散々迷って、「最後にこれだけはやって終わろう」と、マットを敷いた。
チョークアップして持ってみると、やはりホールドは掛かった。
スタンスも大きく、数手我慢すれば問題なくマントルを返せそうだ。

それなのに、フェースに立ち上がることはできなかった。
見た目がぐちゃぐちゃで、遠目にはボロそうに見えるホールドは、
案外しっかりしていて掛かりもいいのに、それでも握るのを躊躇った。
そのとき何を考えていたのか、よく覚えていない。
高さにビビっているのか、水の轟音に気圧されているのか。
それとも何かただならぬものを察知していたのか。
「今、このままこれに突っ込んでいってはいけない」
そう感じたことだけは覚えている。身体に力が入らなかった。
流れの真ん中に敷いたマットは、どんどん飛沫を浴びて濡れていく。
それと一緒に、自分の気持ちも萎縮していく。理由も分からないまま、どんどんと。
たった2、3回のトライで僕は完全に諦め、マットを放り投げた。

あの感覚はなんだったのだろう。
高さや怖さには、結構慣れたつもりでいた。人より鈍い自負もあった。
いつの間にか自分の精神がなまくらになって、
すっかりコントロールできなくなってしまったのだろうか。
ただ、あの時あの場所で、登る気が起きなくなってしまった。

「そんなときに無理をして突っ込んでも、怪我をするだけだろう」
「野生の勘みたいなものが働いたんだろう」
そう考えることも出来る。
でも、なんだかそれも違う気がした。
ただ単に、自分があの岩を前にして、尻尾を巻いて逃げたような、そんな気分だ。

課題云々ではなくて、岩そのものに敗けたような気になるのは、久しぶりだ。

帰り道ずっとモヤモヤしていたものの、
とにかくこの場所は凄くいい場所だった。
今度は腹を括りなおして、きっちり登りに行こう。
敗けっぱなしは、嫌だ。