2017年3月1日水曜日

Stingrayのこと

2月25日の夕方、僕はStingrayを登りました。
通算で12日目、この日2回目のトライでした。


昨年のツアーで7日間トライした末に敗退した僕は、
それからの1年をこのルートに戻ってくるために使おうと決めました。
今年度は就職試験と大学院での研究の2本立てで、
クライミングに充てられる時間がこれまでの半分以下になることは分かっていました。
事実その通りで、夏に試験が終わったと思ったら、
それと入れ替わるように研究の方が忙しくなり、
2か月ほどクライミングを完全に休止していました。
ただしその間も、部屋に作ったフィンガーボードで、
少しずつトレーニングをしていました。
クラックのためのトレーニングなんかほとんど知らず、
手探りであれこれとやってみて、トレーニングメニューを作っていました。
研究がひと段落着いた1月下旬にクライミングを再開し、
久しぶりにジムに行ってみたときは、それはもう酷い状態でした。
指皮は弱くなり、力も出なくなり、すぐにパンプして、身体はうまく動いてくれない。
それでも可能な限り体に刺激を与えて、せめて休止前の状態に戻ればと、
ツアーまでの数週間をがむしゃらに使っていました。
有り難いことに、大ザルが日曜大工と称してジャミング用のホールドを作ってくれ、
それをエッジに持って行ってStingrayの核心のレプリカを設定して、
何度も何度も登りました。
ツアー直前にはレプリカを大分安定して登れるようになったものの、
一方で単純なパワーや持久力はなかなか戻らず、
少なからず不安要素を残したまま出発の日を迎えました。


Stingrayへのアプローチの途中には、立派なケルンが立っています。
昨年のトライ最終日、敗退が決まった後、
僕は石を7つ拾って、そのケルンの隣に積みました。
自分がそのツアーでトライした日数分の、7つの石。
そんなことをしなくてもこの敗退を忘れることはないけれど、
Stingrayを登れた時に、自分の作ったちっぽけなケルンを蹴飛ばしてやろう。
そう考えて石を積んで帰りました。
今年のツアー2日目、1年ぶりに足を運ぶと、
例のちっぽけなケルンはもう崩れてなくなっていました。
そりゃあそうか、雨でも降れば崩れるよな、と思ったものの、ちょっと拍子抜け。

1年ぶりにトップロープを張りに行ったとき、
Stingrayの終了点からロワーダウンしていくとき、本当に緊張しました。
1年経って、このクラックをどう感じるようになっているんだろうか。
易しく感じるのだろうか、難しく感じるのだろうか。
そもそもムーヴが出来なくなっていたりしないだろうか。
蓋を開けてみれば、実際あまり大きな変化は感じませんでした。
核心の一連のムーヴは依然として苦しいし、その後のセクションも楽ではないし、
これはこれで拍子抜けするくらいに1年前の通り。
がっかりする気持ちと、安堵する気持ちの両方がありました。
その日はトップロープでムーヴとプロテクションを確認し、深追いせずに終わりました。

久しぶりにやってみると、本物はエッジに作ったレプリカよりも難しく、
これには「あー、やっちまったな」と少し後悔を覚えました。
しかし、自分の記憶よりは難しかったものの、こなせないほどではなく、
その点については曲がりなりにもトレーニングの成果があったのかなと思いました。

トライ2日目からはリードでのトライを始め、少しずつ勝負に持ち込んでいきました。
が、その後の勝負は予想していたものとかなり違ったものになっていきました。

驚いたのは、自分の指の変化でした。
手探りでやってきたジャミングのトレーニングのおかげか、
リードのトライはテーピングなしでできるくらいになっていました。
1年前はトップロープでもリードでも、トライするたびに流血していたのに、
今年はそこまで酷く皮を取られることはなく、トライの頻度も増やすことができました。

しかし、ジャミングの痛みというクラックとしての難しさの他に、
Stingrayのルートとしての難しさが次の問題になりました。
核心のセクションをこなしても、そこはまだルートの半ば。
その上には5.12の後半部分が待っています。
この部分は足元が悪く、ちょっとしたことですぐにスリップします。
加えて前半のパートをこなした後のヨレ、そしてパンプ。
そこだけやればなんてことないムーヴでも、
そこまでのミスやダメージの蓄積で全く別物のようになり、
繋げたらどこで落ちてもおかしくないくらいに感じるようになりました。
核心をこなせたからといって、それだけで登れてしまうほど甘くはないわけです。
1年前の最後のトライでやっと核心を越えてぶち当たったその事実に、
今年もまた行く手を阻まれることになりました。

2日目のトライは核心で落ちたものの、
3日目のトライで核心を越え、その次のセクションでスリップ。
4日目には更にそのセクションを抜け、
残り3手のところでまた足が滑って落ちました。
気が付けば、僕にとってこのルートの核心はもはや中間のボルダーセクションではなく、
後半に怒涛の如くやってくるミスの許されない繊細なレイバックになっていました。
事実、今年のトライで核心が越えられなかったのは、最初の1回だけでした。
2週間は短いです。1日おきにトライしていても、あっという間に残りは数日。
どんどんと追い込まれていき、そこにきて4日目のトライでのフォール。
足が滑って落ちたとはいっても、その瞬間は完全に疲れ切っていて、
腕はパンパン、肩はヨレヨレ、体は持ちあがらず、そのせいで滑ったようなもの。
滑らなかったとしても、そのまま押し切れたかどうかは分からない。
そのシビアな状況をルートとの駆け引きとして楽しむ余裕は既になく、
ただムーヴを思い返して気持ちを落ち着けるしかありませんでした。
「気持ちで負けたら何も残らない」とか「諦めたらそこで試合終了デスヨ」とか云々、
頭の中でぐちゃぐちゃと考えてはみても、それで現実が変わるとも思えませんでした。

そうして迎えた2月25日。帰国まで残り2日で、恐らくStingrayへのトライは最後。
朝から快晴で、風も弱く、前回よりもかなりいいコンディションでした。
しかしその条件下で臨んだトライは、またしても残り3手でフォール。
レストポイントでしっかり休んだにも関わらず、
続く数手で一気にパンプが戻ってきて、捨て身で出した左手はクラックに入らず、
更にはまた足が滑っているし、もうなす術なし、という具合でした。
ロープにぶら下がってひとしきり叫び散らした後、
ほんの少しだけ冷静になった頭で次のトライのことを考えました。
今日やるか、明日に延ばすか。

もしかしたら自分は、多少ジャミングに慣れただけで、
その他のものはまるで足りていないのではないか。
持久力、フットワークの繊細さ、集中力・・・
というかそもそも持久力が足りないのは明らかでした。
たしかにジャミングの練習は懸命にしたけれど、
今これが登れなければ、なんにもならないじゃないか。
このルートがジャミングするだけでは登れないルートだということは、
1年前に敗退した時から分かっていたはずなのに、なぜそれを放っておいたのか。
この1年間に限らず、これまでずっとリードをあまりやらず、
真剣に持久力のトレーニングに励んでこなかった自分を恨みました。

それでも、指の皮はまだ耐えてくれそうだったし、
明日突然天気が崩れるかもしれないし、トラブルがあるかもしれない。
そもそも、今日は2回トライするつもりでいただろう。
そう考えて、1時間ほどのレストを挟んで2回目のトライをすることに決めました。

何も持たず、ただぼんやりと近くを散歩していると、
不意に5メートルくらい先にウサギが出てきて止まりました。
咄嗟にこちらも立ち止まって、じっと見つめていました。
逃げる様子がないので、そっと写真を撮って、ウサギが去っていくのを見送りました。
Joshua Treeでウサギを見かけるのは珍しいことではなかったけれど、
最後のトライを前に揺れている僕には、それがなんだか特別な出来事に思えました。
取り付きに戻り、一段上のテラスに上がって準備をする間も、
肩周りに残っている疲労感が気になっていました。
もしかしたら、中間部すら越えられないかもしれない。
それでも、このトライできっと最後なのだから、もう守るものは何もない。
もしこのトライでも登れなかったら、その時は、岩の上で思い切り泣けばいい。
捨て鉢になることなく、かといって気負うわけでもなく、
何度も深呼吸をして、この日2回目のトライに臨みました。

回数を重ねるごとに感触がよくなっていった中間部では、
声が出たもののまた少しばかり易しくなったように感じました。
3日目にスリップしたところも一切のミスなくこなし、レストポイントへ。
身体を倒し、出来るだけゆっくりと呼吸をしながら、
前のトライとなんら変わらず、体のあちこちがヨレているのを感じ、
「本当にこれで押し切れるんだろうか」と、また考えてしまいました。
あと3手。あとたった3手延ばすことが出来れば、全部終わるのに。


レストポイントを離れて、一度左のスラブに身体を乗り出して、
左手でがちゃがちゃしたカチを全力で握り、右手を次のフィンガージャムへ。
ここまで出るともう戻れない。もう突っ込んでいくしかない。
祈るような気持ちで右足のスタンスを拾い、更に2手送り、
スメアで足を送って左手をクロス気味にクラックへ。
前のトライはこの1手で落ちた。
今度こそ捕らえたと思った左手は、いつもより少し下に入ってしまって、
急いで掛け直した。足はギリギリ滑らなかった。
もう腕に力が入っているのかどうかもよく分からず、引き剥がされそうになる。
それでも更に2歩足を送って、右手のアンダーを差し、強引に最後のガバを取った。
その瞬間に足がまた滑ったものの、左手はもう完全にガバを捕らえていた。

アンカーにクリップして、僕は自分でも驚くくらい大きな声で泣きました。
どうしてこんなに涙も叫び声も止まらないのか、分かりませんでした。
登れなかったら泣こうと思っていたのに、なぜ登れたのに泣いているのか。
それも全く分からずに、泣きに泣いて、鼻水を垂れ、酷い有様でした。
近くのテラスでカメラを回していたサル左衛門が岩の上に回ってきたので、
僕も岩の上まで行って、サル左衛門と抱き合って、また少し泣きました。
弟の腹に顔をうずめて泣くなんて、恰好悪い兄ですね。ごめんなサル左衛門。

少し落ち着いてから、クラックを掃除して下り、
福ちゃんともアラカワくんとも抱き合っている間も、
自分がこのルートを登ることができたことが信じられませんでした。
レストしているときは、前のトライと変わらないと感じていたのに。
きっと、何かが違っていたのでしょう。

Stingrayの取り付きには、誰が置いたのか、
コインが何枚か賽銭のように置いてあります。
片づけを終えて、僕もやっと、25セント硬貨を一枚、お供えすることが出来ました。

それなりにトレーニングもしていた一年前の自分が出来なかったことを、
あまりトレーニングできていない今年の自分が出来るはずがないと、
そう考えたことは何度もありました。
それでもなんとかかんとか、僕は歩みを進め、
カタツムリのようにゆっくりでも、ここに辿り着くことが出来ました。

自分がした選択と、そうしてやってきたことを、疑い続けた一年間でした。
そして今、僕は一年前の自分をついに追い越して、
これまでの自分に漸く胸を張ることが出来ます。
もう疑わなくていい。
これでまた少し、自分自身を信じることが出来ます。

クライミングを真剣にやるようになって、15年が経ちました。
これが15年経った今の自分にあるすべてだったのだと感じています。
あれやこれやと彷徨って、雑食というか悪食というか、
あれもこれもとやってみて、その先にあったのがStingrayだったのかもしれません。
次の5年、10年、15年で自分がどうなるのか、
それは今ここで分かるはずもないことですが、
今よりももう少しだけ先を歩いていたいなと、そう思います。

Bishopから駆けつけてくれたいましさんとサル左衛門、
他にルートのないこのエリアにもずっと付き合ってくれたアラカワくん、
2度のツアーに同行して、最後までビレイをしてくれた福ちゃん、
その他大勢の皆さんに心から感謝です。
ありがとうございました。

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