2017年3月13日月曜日

久々の刺激

昨日はエッジ常連組(はげしめ)の皆さんと、豊田へ行った。
豊田に行くの自体、もう数年ぶり。だって遠いんだもの。
何処に行くか集合してから決めるアバウトっぷりだったけど、
全員なんとなーくの合意の上で、神越へ。
前日エッジでそれなりに登っていたので、指皮がすでにちょっとピンク色。
指皮を酷使するクライミングをずっとしていなかったので、
皮の硬さは一般人並みになってしまっているのです。
そんな状態で不安があったけど、神越は河原なので少し安心。

まず「神楽」周辺から。
その辺の岩で適当にアップしてから、「黒い鬼」(d?)。
もともと三段だったのが、ホールドが大きくなって易しくなったんだとか。
たしかに、初段ないくらい。2回目でゲット。
次に「神楽」(e)も一撃を逃して、2回目で登った。
常連様方の「神楽」での大セッションをしばらく観戦して、
ちーさんがやっている「RAIZEN」(g?)に参戦。
「ZEN」(f)はとりあえず放置。
1手目をどうするかちょっと試行錯誤して、それが出来たトライでそのまま登れた。
後半でヨレ落ちしそうになったけど、ホールドの掛かりがいいのでごり押し。
うーん、こういう場面でもっと合理的な登りが出来るようになるべきなんだけどな。
とにかく、登れてよかった。
あとは「オニヤンマ」(f)を股間を打って悶えたりしながら登った。

「ポリっちょ」こと、あかはねさん on 神楽

ちーさん on RAIZEN

ちーさんも「RAIZEN」を登ったので、二人で少し上流へ。
「ワイルドストロベリー」(g?)をやりに行った。
この岩はフリクションばりばりで、指にくる感じ。
1手目がいきなり悪く、全然出来ない。とにかくカチが持てない。
2手目以降をバラしにかかってみたけど、弱った指皮が悲鳴を上げるし、
指皮出る汁でヌメり始めるしでこっちもなかなか出来ず。
なんだ、結構調子がいい気がしてたけど、気のせいだったか?
ちーさんは全ムーヴをバラしたものの、繋がらず。次回ですね。
折角来たので近くの「バットマン」(f)を登って、一度下流に戻った。
「バットマン」は取れそうなブロックが怖いけど、
花崗岩とは思えない今風のムーヴ連発で面白かった。
こんなのもあるんだな、豊田。
ワイルドストロベリー

下流では皆さんが「ZEN」でセッション中だった。
ちょうど、けんさんが登って100段を達成したところだった。
岸さんも登って初の二段になったそうで、なんだかBIG dayでしたね。
他の人と同じムーヴをせずにやたら遠回りして登ることに定評のあるタイちゃんは、
なんやかんやと文句を言いながらも「神楽」も「RAIZEN」も登ったらしい。
そんな様子をしばらく眺めて、タイちゃんとちーさんと三人で再び上流へ。

「The Storm」(e)へ行って、まず隣の岩の「ビビン波」(f)から。
SDからひたすら微妙なピンチで耐えてリップにどーん、という感じ。
なんだかサル左衛門のおじさんシリーズを彷彿とさせるサイズ・・・
やってみたら案の定一切誤魔化しのきかないタイプだったものの、
ピンチがしっかり掛かったトライで思い切り跳んだらなんとか止まって、登れた。
もう指が痛くて仕方なかったけど、そのまま「The Storm」にもトライして、
鋭いカチに半泣きになりながら3回目で登った。
多少脆いのを除けば、高さと緊張感があっていい課題。

思いの外早く登れたので、下に戻って、「Happy Birthday」にいる常連組に合流。
もう指が痛くて仕方なかったけど、「Happy Birthday SD」(f)にトライ。
流石に疲れていたのか、スタンドに合流してからのランジが止まらなかったものの、
しぶとく打ち続けて、ギリギリ止まって登れた。
最後に右の「Rummy」(e)を危なっかしく一撃して終了。
タイちゃんが最後の最後に「Happy Birthday SD」を登って、
登りは素晴らしいのにヒーローになりきれないキャラを印象付けて終わった。

身体に久々の強烈な刺激が入って、いい具合に疲れた。
こういう疲労感なら、あちこち痛くてまあいいかな、と思う。
春休みは残りわずかだけど、次はどこに行こうかな。

2017年3月6日月曜日

帰国後

この週末は、遠山川に行ってきた。
帰国してみれば、2週間で季節はすっかり春に近づいていて、
家の近くにはイヌノフグリが咲き始めているし、日差しも気持ちがいい。
遠山川の集落のあたりには梅が咲いていた。
そんな季節なんだな。

今回はりょーちゃんとお母さんが一緒。
僕はあまり激しく登るつもりがないので、
とりあえずどこ行ってもいいや、という感じでまったりついていくスタンス。
「前回行ってないところに行こう」ということで、下流から。
だまし岩の下地が上がって、ハングの中に入れなくなっていた。
「だましハング」とかはほぼレイダウン状態で強引に浮いて登った。
他の岩はだいたい例年通りだけど、全体的に下地の状態は良さそうだった。
りょーちゃんは「バカ犬」(3級)を登って、「TT」(2級)も登って、
そのまま「TTT」(1級)まで登って、だんだんここのツルツル具合に慣れてきた様子。
TT

上流に移動して、神楽ケイヴ周辺へ。
りょーちゃんは宿題になっている「ざざむし」(2級)をやっていた。
こちらは、珍しく「禊」に下地があって、しかもチョークがついていたのでトライ。
これをやっている人がいるなんて、それこそ初登以来なんじゃないか。
スタートからいきなりパワー全開のムーヴで、
中間のガバをどう取りにいくのか、なんだかよくわからん。
チョーク跡のおかげでホールドは見えるけれど、足が悪い。そして滑る。
ついこの前までフリクションばりばりの花崗岩だったしな。
やっていくうちにどうやらそれらしいムーヴを発見。
指が痛かったので深追いは出来なかったけど、なんとか中間のガバは取れた。
これでも十分悪かったけど、ここからまだ半分あるのか・・・
最後はリップのスローパーにデッドかランジだろうな。
来シーズン下地があるかどうかわからないけれど、また来ます。

りょーちゃんはリーチぱつぱつで「ざざむし」は登れず。また次回。



まだ多少燃え尽き状態を引きずって、若干の消化不良を抱えている。
ここからきっと自分の日常が目まぐるしく変わっていくので、
それが一先ず落ち着くまでは適度にやっていけばいいかなと思ってしまう。
多分、完全に消化するにはもう少し時間がかかるんだろう。

ところで、部屋に作ったフィンガーボードを解体した。
この部屋の間取りに合わせて作ったので、他の場所にそのまま持って行っても仕方ない。
Stingrayのために作ったものだったから、もう役目は終わったわけで。
数日かけて作ったのに、解体は1時間半くらいで終わった。儚い。
角材についたチョークの跡を見ながら、半年だけしか使わなくても、
このフィンガーボードを作ってよかったと思った。
勿体ないとは思わない。

2017年3月1日水曜日

Stingrayのこと

2月25日の夕方、僕はStingrayを登りました。
通算で12日目、この日2回目のトライでした。


昨年のツアーで7日間トライした末に敗退した僕は、
それからの1年をこのルートに戻ってくるために使おうと決めました。
今年度は就職試験と大学院での研究の2本立てで、
クライミングに充てられる時間がこれまでの半分以下になることは分かっていました。
事実その通りで、夏に試験が終わったと思ったら、
それと入れ替わるように研究の方が忙しくなり、
2か月ほどクライミングを完全に休止していました。
ただしその間も、部屋に作ったフィンガーボードで、
少しずつトレーニングをしていました。
クラックのためのトレーニングなんかほとんど知らず、
手探りであれこれとやってみて、トレーニングメニューを作っていました。
研究がひと段落着いた1月下旬にクライミングを再開し、
久しぶりにジムに行ってみたときは、それはもう酷い状態でした。
指皮は弱くなり、力も出なくなり、すぐにパンプして、身体はうまく動いてくれない。
それでも可能な限り体に刺激を与えて、せめて休止前の状態に戻ればと、
ツアーまでの数週間をがむしゃらに使っていました。
有り難いことに、大ザルが日曜大工と称してジャミング用のホールドを作ってくれ、
それをエッジに持って行ってStingrayの核心のレプリカを設定して、
何度も何度も登りました。
ツアー直前にはレプリカを大分安定して登れるようになったものの、
一方で単純なパワーや持久力はなかなか戻らず、
少なからず不安要素を残したまま出発の日を迎えました。


Stingrayへのアプローチの途中には、立派なケルンが立っています。
昨年のトライ最終日、敗退が決まった後、
僕は石を7つ拾って、そのケルンの隣に積みました。
自分がそのツアーでトライした日数分の、7つの石。
そんなことをしなくてもこの敗退を忘れることはないけれど、
Stingrayを登れた時に、自分の作ったちっぽけなケルンを蹴飛ばしてやろう。
そう考えて石を積んで帰りました。
今年のツアー2日目、1年ぶりに足を運ぶと、
例のちっぽけなケルンはもう崩れてなくなっていました。
そりゃあそうか、雨でも降れば崩れるよな、と思ったものの、ちょっと拍子抜け。

1年ぶりにトップロープを張りに行ったとき、
Stingrayの終了点からロワーダウンしていくとき、本当に緊張しました。
1年経って、このクラックをどう感じるようになっているんだろうか。
易しく感じるのだろうか、難しく感じるのだろうか。
そもそもムーヴが出来なくなっていたりしないだろうか。
蓋を開けてみれば、実際あまり大きな変化は感じませんでした。
核心の一連のムーヴは依然として苦しいし、その後のセクションも楽ではないし、
これはこれで拍子抜けするくらいに1年前の通り。
がっかりする気持ちと、安堵する気持ちの両方がありました。
その日はトップロープでムーヴとプロテクションを確認し、深追いせずに終わりました。

久しぶりにやってみると、本物はエッジに作ったレプリカよりも難しく、
これには「あー、やっちまったな」と少し後悔を覚えました。
しかし、自分の記憶よりは難しかったものの、こなせないほどではなく、
その点については曲がりなりにもトレーニングの成果があったのかなと思いました。

トライ2日目からはリードでのトライを始め、少しずつ勝負に持ち込んでいきました。
が、その後の勝負は予想していたものとかなり違ったものになっていきました。

驚いたのは、自分の指の変化でした。
手探りでやってきたジャミングのトレーニングのおかげか、
リードのトライはテーピングなしでできるくらいになっていました。
1年前はトップロープでもリードでも、トライするたびに流血していたのに、
今年はそこまで酷く皮を取られることはなく、トライの頻度も増やすことができました。

しかし、ジャミングの痛みというクラックとしての難しさの他に、
Stingrayのルートとしての難しさが次の問題になりました。
核心のセクションをこなしても、そこはまだルートの半ば。
その上には5.12の後半部分が待っています。
この部分は足元が悪く、ちょっとしたことですぐにスリップします。
加えて前半のパートをこなした後のヨレ、そしてパンプ。
そこだけやればなんてことないムーヴでも、
そこまでのミスやダメージの蓄積で全く別物のようになり、
繋げたらどこで落ちてもおかしくないくらいに感じるようになりました。
核心をこなせたからといって、それだけで登れてしまうほど甘くはないわけです。
1年前の最後のトライでやっと核心を越えてぶち当たったその事実に、
今年もまた行く手を阻まれることになりました。

2日目のトライは核心で落ちたものの、
3日目のトライで核心を越え、その次のセクションでスリップ。
4日目には更にそのセクションを抜け、
残り3手のところでまた足が滑って落ちました。
気が付けば、僕にとってこのルートの核心はもはや中間のボルダーセクションではなく、
後半に怒涛の如くやってくるミスの許されない繊細なレイバックになっていました。
事実、今年のトライで核心が越えられなかったのは、最初の1回だけでした。
2週間は短いです。1日おきにトライしていても、あっという間に残りは数日。
どんどんと追い込まれていき、そこにきて4日目のトライでのフォール。
足が滑って落ちたとはいっても、その瞬間は完全に疲れ切っていて、
腕はパンパン、肩はヨレヨレ、体は持ちあがらず、そのせいで滑ったようなもの。
滑らなかったとしても、そのまま押し切れたかどうかは分からない。
そのシビアな状況をルートとの駆け引きとして楽しむ余裕は既になく、
ただムーヴを思い返して気持ちを落ち着けるしかありませんでした。
「気持ちで負けたら何も残らない」とか「諦めたらそこで試合終了デスヨ」とか云々、
頭の中でぐちゃぐちゃと考えてはみても、それで現実が変わるとも思えませんでした。

そうして迎えた2月25日。帰国まで残り2日で、恐らくStingrayへのトライは最後。
朝から快晴で、風も弱く、前回よりもかなりいいコンディションでした。
しかしその条件下で臨んだトライは、またしても残り3手でフォール。
レストポイントでしっかり休んだにも関わらず、
続く数手で一気にパンプが戻ってきて、捨て身で出した左手はクラックに入らず、
更にはまた足が滑っているし、もうなす術なし、という具合でした。
ロープにぶら下がってひとしきり叫び散らした後、
ほんの少しだけ冷静になった頭で次のトライのことを考えました。
今日やるか、明日に延ばすか。

もしかしたら自分は、多少ジャミングに慣れただけで、
その他のものはまるで足りていないのではないか。
持久力、フットワークの繊細さ、集中力・・・
というかそもそも持久力が足りないのは明らかでした。
たしかにジャミングの練習は懸命にしたけれど、
今これが登れなければ、なんにもならないじゃないか。
このルートがジャミングするだけでは登れないルートだということは、
1年前に敗退した時から分かっていたはずなのに、なぜそれを放っておいたのか。
この1年間に限らず、これまでずっとリードをあまりやらず、
真剣に持久力のトレーニングに励んでこなかった自分を恨みました。

それでも、指の皮はまだ耐えてくれそうだったし、
明日突然天気が崩れるかもしれないし、トラブルがあるかもしれない。
そもそも、今日は2回トライするつもりでいただろう。
そう考えて、1時間ほどのレストを挟んで2回目のトライをすることに決めました。

何も持たず、ただぼんやりと近くを散歩していると、
不意に5メートルくらい先にウサギが出てきて止まりました。
咄嗟にこちらも立ち止まって、じっと見つめていました。
逃げる様子がないので、そっと写真を撮って、ウサギが去っていくのを見送りました。
Joshua Treeでウサギを見かけるのは珍しいことではなかったけれど、
最後のトライを前に揺れている僕には、それがなんだか特別な出来事に思えました。
取り付きに戻り、一段上のテラスに上がって準備をする間も、
肩周りに残っている疲労感が気になっていました。
もしかしたら、中間部すら越えられないかもしれない。
それでも、このトライできっと最後なのだから、もう守るものは何もない。
もしこのトライでも登れなかったら、その時は、岩の上で思い切り泣けばいい。
捨て鉢になることなく、かといって気負うわけでもなく、
何度も深呼吸をして、この日2回目のトライに臨みました。

回数を重ねるごとに感触がよくなっていった中間部では、
声が出たもののまた少しばかり易しくなったように感じました。
3日目にスリップしたところも一切のミスなくこなし、レストポイントへ。
身体を倒し、出来るだけゆっくりと呼吸をしながら、
前のトライとなんら変わらず、体のあちこちがヨレているのを感じ、
「本当にこれで押し切れるんだろうか」と、また考えてしまいました。
あと3手。あとたった3手延ばすことが出来れば、全部終わるのに。


レストポイントを離れて、一度左のスラブに身体を乗り出して、
左手でがちゃがちゃしたカチを全力で握り、右手を次のフィンガージャムへ。
ここまで出るともう戻れない。もう突っ込んでいくしかない。
祈るような気持ちで右足のスタンスを拾い、更に2手送り、
スメアで足を送って左手をクロス気味にクラックへ。
前のトライはこの1手で落ちた。
今度こそ捕らえたと思った左手は、いつもより少し下に入ってしまって、
急いで掛け直した。足はギリギリ滑らなかった。
もう腕に力が入っているのかどうかもよく分からず、引き剥がされそうになる。
それでも更に2歩足を送って、右手のアンダーを差し、強引に最後のガバを取った。
その瞬間に足がまた滑ったものの、左手はもう完全にガバを捕らえていた。

アンカーにクリップして、僕は自分でも驚くくらい大きな声で泣きました。
どうしてこんなに涙も叫び声も止まらないのか、分かりませんでした。
登れなかったら泣こうと思っていたのに、なぜ登れたのに泣いているのか。
それも全く分からずに、泣きに泣いて、鼻水を垂れ、酷い有様でした。
近くのテラスでカメラを回していたサル左衛門が岩の上に回ってきたので、
僕も岩の上まで行って、サル左衛門と抱き合って、また少し泣きました。
弟の腹に顔をうずめて泣くなんて、恰好悪い兄ですね。ごめんなサル左衛門。

少し落ち着いてから、クラックを掃除して下り、
福ちゃんともアラカワくんとも抱き合っている間も、
自分がこのルートを登ることができたことが信じられませんでした。
レストしているときは、前のトライと変わらないと感じていたのに。
きっと、何かが違っていたのでしょう。

Stingrayの取り付きには、誰が置いたのか、
コインが何枚か賽銭のように置いてあります。
片づけを終えて、僕もやっと、25セント硬貨を一枚、お供えすることが出来ました。

それなりにトレーニングもしていた一年前の自分が出来なかったことを、
あまりトレーニングできていない今年の自分が出来るはずがないと、
そう考えたことは何度もありました。
それでもなんとかかんとか、僕は歩みを進め、
カタツムリのようにゆっくりでも、ここに辿り着くことが出来ました。

自分がした選択と、そうしてやってきたことを、疑い続けた一年間でした。
そして今、僕は一年前の自分をついに追い越して、
これまでの自分に漸く胸を張ることが出来ます。
もう疑わなくていい。
これでまた少し、自分自身を信じることが出来ます。

クライミングを真剣にやるようになって、15年が経ちました。
これが15年経った今の自分にあるすべてだったのだと感じています。
あれやこれやと彷徨って、雑食というか悪食というか、
あれもこれもとやってみて、その先にあったのがStingrayだったのかもしれません。
次の5年、10年、15年で自分がどうなるのか、
それは今ここで分かるはずもないことですが、
今よりももう少しだけ先を歩いていたいなと、そう思います。

Bishopから駆けつけてくれたいましさんとサル左衛門、
他にルートのないこのエリアにもずっと付き合ってくれたアラカワくん、
2度のツアーに同行して、最後までビレイをしてくれた福ちゃん、
その他大勢の皆さんに心から感謝です。
ありがとうございました。

Joshua Tree 2017 その5

2月25日 「最終ラウンド」
最後の最後で、やっとの思いで笑うことが出来た。

今日は暖かく、風も弱く、いい日和だった。
考えた末に、Barchar Toprope Wallに行ってアップ。
易しいルートと11aの短いレイバックをソロで何度も登り、
福ちゃんが張ったトップロープでBaby Apesも登って、体を起こした。
福ちゃんはBaby Apesを一発で仕留めて、またグレード更新。お見事でした。
Baby Apes

それからStingrayへ移動。
トップロープで確認して、最上部のスタンスも吟味してみたが、
結局は同じところに落ち着いた。
「これで決める」と臨んだトライで核心を越え、レストポイントに入った。
が、またすぐにパンプが戻ってきて、前回と同じところで同じ落ち方をした。
ここにきて、ミスではなく純粋にヨレ落ちしたことに絶望して、
もう無理だ、限界だ、と思ってしまった。
それでももう一回はトライすることに決めていたので、
1時間くらいレストして、2回目に臨んだ。

不思議なものだ。
一度疲れ果てて力尽きて落ちて、疲労も少しは残っているはずなのに、
これまでで一番安定した登りでレストポイントにたどり着き、
引き剥がされそうになりながら、ギリギリで押し切った。
サル左衛門の声援が、足りなかったもう少しの力をくれた気がする。
あとは、終了点でただ泣いた。

皆と抱き合って、暗い中を獣の鳴き声を聞きながら帰り、
買い物に行って、やっとこさビールを買って飲むことが出来た。



2月26日 「the day after」
夕べは3時間くらい寝てから何故か眠りが浅くなり、
あまりよく眠れないまま朝になった。
今朝は一時雨が降り、次第に雪に変わって、止んで日が差したら、
笑ってしまうくらい呆気なく乾いた。
朝食を作り、食べていても、起きているのか寝ているのか、
イマイチ判然としないくらいぼんやりとしていた。
なんとなくの実感があるだけで、いい夢見たなあくらいの穏やかな朝だった。

今日は福ちゃんが手早く宿題リストを潰しにかかった。
Barchar Toprope Wall(3日連続)でアップして、
Rusty WallでWanger Bangerを回収。
アラカワくんはトップロープでやって跳ね返されていた。
Wanger Bangerに挟まる福ちゃん

昼に一度キャンプ場に引き上げてテントを撤収。
そのままSplit Rockに行って、二人がRubicon(5.10c)をやって、
ツアーのクライミングは終了となった。
Rubicon

自分はと言えば、コンタクトすら入れず、ただ同伴している保護者みたいに、
やいのやいの言って写真を撮っているだけだった。
しぼりカスはしぼりカスらしく、大人しくしていたかった。

夕方、街に下って、モーテルでBishop組と合流。
最後にタイ料理を食べにいった。
全員満足してモーテルに戻り、洗濯と洗車を済ませて、今に至る。
使い果たして力の入らない身体は、疲れているというよりも、
スイッチが切れているようだ。
それならまた、どこかでスイッチを入れてやればいい。
まずは無事に帰りましょう。


2月27日 「少しちがう」
帰国日。
数時間寝て、4時に起きて、手早くパッキングしてモーテルを出発。
雨が降る中、ロサンゼルスに向けて走っていった。
夜が明けて、雨は止んで、多少の渋滞に巻き込まれつつロスまで3時間半くらい。
ハイウェイの下り口を間違えて、迷ったり給油したりしていたら、
ちょうどレンタカー屋が開く時間に到着。
空港まで送ってもらい、出国もスムーズだった。
手荷物にガチャ類を全部突っ込んだら、中身を検められたりしたけど。

そうして搭乗、フライト。
跳んで直ぐは眠気があったのですぐ寝たものの、
1時間くらいですぐ起きてしまい、結局映画を4本観て過ごした。
成田は晴れていて、ロスよりも大分肌寒かった。

今年も帰り道は至ってスムーズで、その点は去年と一緒だったけれど、
頭の中で考えていたことは少し違った。
疲れていたのでそもそもあまり考えていないのだけれど、
ぼんやりとした喜びがあった。
去年は感じなかったことだ。

空港からのタクシーでは半分以上寝て、長野に着いて一人でラーメンを食べに行った。
腹が減っては片付けすらできません。
自転車を漕ぐ足は軽かった。

Joshua Tree 2017 その4

昨日、日本に帰ってきました。

2月23日 「4ラウンド目」
今日はひどく寒い日だった。
テントに霜が降りていて、置いてあった水が少し凍っていた。

9時にHidden Valleyの駐車場に集合して、Real Hidden Valleyでアップ。
Loose Lady(5.10a)のあたりで数本登って、少し移動して、
Sports Challenge Rockでまた数本登った。
Sphincter Quits(5.9)はなかなかよかった。
仕上げの一本でLeave it to Beaverを去年よりも気持ちよく登れたところで、移動。

空模様は快晴だが、気温は今までになく低く、風も強く、とにかく寒い。
Stingrayも高いところは風にさらされていた。
トップロープでムーヴを確認したり、撮影用のフィックスを張ったりしていたら、
体が冷えてしまった。
とりあえず日向に逃げ、ぐるぐる散歩して温めて、リードでトライ。
核心のその上で足が滑ったものの、なんとか堪えてレストポイントに入った。
ここである程度回復したと思ったのも束の間、数手で一気にパンプが戻ってきた。
そして残り3手のところでフォール。
後でビデオを見直したら足が滑っていたが、詰めの甘さは即ちヨレからくるもの。
限界だったのかもしれない。
そして今日はちょっと寒すぎた。
カメラを構えていたいましさんもサル左衛門も死にそうだったので、
今夜はモーテルに行って温かいものを拵えて皆で食べた。


今後の予報は悪くないが、気になるのは風。
最後の勝負を前に、もう疲れて何が何やら分からなくなっている。
気持ちの整理は、明日することにする。


2月24日 「逡巡」
今朝は全員寝坊した。いつもよりもゆっくりした朝。
今日もテントに霜が降りていた。
気持ちはまだ整理できておらず、ぐずぐずと胸の内をかき乱していた。

Barchar Toprope Wall

今日はまずEcho Rock近くのBarchar Toprope Wallに行って、
福ちゃんが気になっていたBaby Apes(5.12c)を探った。
瑞牆の「果てしなき荒野」を思い出すような前傾トラッドフェース。
ムーヴはなかなか悪そうだった。
こちらは何もすることがないので、昼寝をしたり音楽を聴いたりして、
登れずに帰るときの言い訳を考え始める自分を、誤魔化そうとしていた。
が、埒が明かないのでStingrayのムーヴをまた頭の中で復習していったら、落ち着いた。
1回、また1回と繰り返して、どうにか整理がついた。



その後はRusty Wallに行って福ちゃんがWanger Bangerをやったものの、
核心で落ちて、こちらはこちらで残り数日にして宿題回収に追われている。
Wanger Banger

福ちゃんのトライは1回で終わり、夕方にHeart of Darknessに移動。
アラカワくんがトップロープでムーヴとプロテクションを確認して、リードでトライ。
1回目はいろいろととっ散らかった登りで、最後のパートでポロ落ちしたものの、
2回目で仕切り直し、夕闇迫る中気合の完登。
初の11がこのツアーで、それもクラックとは。
これからも頑張ってくれ。
Heart of Darkness



明日が恐らくは最終ラウンド。
長い一日になるが、長いだけでなく、いい一日にしたい。